品川リフラクトリーズ株式会社 代表取締役社長 藤原 弘之
1960年生まれ。83年に川崎製鉄(現JFEスチール)に入社。JFEスチール常務執行役員、JFEホールディングス専務執行役員などを経て、2021年4月に品川リフラクトリーズの顧問、同年6月から現職。
COMPANY
品川リフラクトリーズ株式会社
1875(明治8)年に創業した高温技術のリーディングカンパニー。創業者は西村勝三。設立には実業家・渋沢栄一もかかわった。創業以来、耐火物を通して、鉄鋼、非鉄金属、窯業、ガス、電力などの主要産業の発展を支えてきた。
耐火物? 実は身近なんです
経営者だからといって、だれもが豊かな才能を持って生まれたわけではありません。
少なくとも私は凡人、あるいは「ごく普通の人」です。会社をうまく経営するには、もちろん自分の頭をフル回転させて考え抜く必要がありますが、その際に、私のような普通の人は先人の知恵を拝借するのが効率的です。経験から学ぶことも重要ですが、ひとりの人間が経験できることには限りがあります。だから勉強して他者の経験や思考から学ぶことは本当に自分のためになります。世の中にはすごい経験をした人や、ある事柄を何年も研究して突き詰めて考えた人が大勢います。こういう人たちの著作や発言から学ばないと損です。凡人の私が何とか経営者を務めていられるのは、若いころから勉強を重ねて、「拝借できる先人の知恵」がストックされているからだと思います。このストックが自分の経験を補い、経験からの「学び」を容易にしているのです。
また、いろいろな分野の本を読んでいると、思いがけない出会いもあります。これが読書や勉強の醍醐味で、初めて知る事柄は、何かしら人生を豊かにします。ですから私にとって、勉強は楽しみでもあります。ここでは皆さんに、ぜひ品川リフラクトリーズという会社に出会っていただきたいと思います。
当社、品川リフラクトリーズは、耐火物の製造・販売や、窯炉の設計・築炉工事などのエンジニアリングサービスを行っています。「耐火物」というと、あまり聞き慣れないことから「マイナーな産業」と思われがちですが、実は日々の暮らしに身近な産業です。みなさんも利用される、自動車や鉄道などの製造に必要な素材づくりにも、私たちの製品やエンジニアリングサービスが生かされています。
品川リフラクトリーズグループの事業領域は「耐火物、断熱材、先端機材、エンジニアリング」の四つに分かれます。当社グループは産業を支える事業を担っており、すべての製品やサービスは、製造業がある限り需要され続けます。
私たちが大切にしているのは、お客様のニーズに合わせて徹底的にカスタマイズを進めていくことです。
例えば、製鉄所には「製鋼」というプロセスがあります。鉄の成分調整のため約1500度の高温処理をする炉があり、そこに高炉から出てきた溶けた鉄やさまざまな物質を投入し精錬して成分を調整していきます。溶けた高温の鉄を鉄製の炉に直接入れると炉が溶けてしまうので、炉内には高温に耐えられる耐火物を張りめぐらせなければいけません。
この精錬プロセスは「転炉」という設備で行いますが、A社の転炉に施工された耐火物製品がよいパフォーマンスを発揮していても、同じ製品がB社で高評価を受けるとは限りません。同じ転炉という設備でもお客様ごとに操業条件や設備の設計が異なるからです。また、たとえ同じお客様でも、時間の経過とともに操業条件が変わるので、お客様の状況を把握したうえで、常に最適な製品や施工方法を提供していく必要があります。そのため、社内でも各部門が緊密に連携してビジネスを進めていかねばならず、これは細かな調整が必要な一方で、非常に面白みのある仕事でもあります。
就活のミスマッチを超えて鉄鋼業界へ
子どものころは勉強よりも友だちと遊ぶことが好きでした。友だちとけんかばかりして、親を困らせていましたね。母は学校の保護者会に行くのは気が重かったそうです。
東京都江東区の公立中学校に入学すると、小学校時代の友だちは次第にリーゼントヘアのヤンキーに。私はさすがにこのままではまずいと思い、勉強もスポーツもがんばるようになりました。そのかいあってか、陸上競技の200メートル走では東京都の代表に選ばれ、生徒会長も務める良い子になりました。
卒業後は、早稲田大学高等学院に入学しました。面白い学校で、先生が好きなことしか教えないのです。高校レベルを超えた授業も多く、学問的な好奇心を大いに刺激されました。私にとって一番面白かったのは、世界史。ローマ帝国の衰亡の分析で1学期が終了し、2学期のほとんどはフランス革命とナポレオンです。大学で学ぶような内容をじっくり丁寧に教えてくれるので、非常に興味深い時間でした。ちなみに好きな科目は数学でした。「データとロジックが大切」と考える現在に通じています。
読書に目覚めたのも、このころでした。社会科学系の本をはじめ、哲学、宗教、芸術など幅広い分野の書物を読みました。ジャンルにとらわれず読書をする乱読の習慣は、現在でも続いています。
大学は、早稲田の政治経済学部経済学科に進みました。社会科学全般に興味があったのですが、その中でも「数学が得意なら楽勝」と先輩から勧められて経済学科を選んだ次第です。ちょっと不純な動機ですね。
就活にあたっては、性格的にウェットな人間関係が苦手なので、できればサクサクと数字やロジックで処理できるファイナンスや管理会計、あるいは最適生産計画をつくるような仕事に携わりたいと考えていました。そこで金融機関や商社を中心にまわりました。ところが、です。幸運にも内々定をいくつかもらったのですが、違和感を覚えて先に進めなくなってしまいました。当時の違和感の正体はいまだにわかりません。しかし、この時点で立ち止まることができたのは、長い目で見てよかったのかもしれません。
そこで、悩んだ末にゼミの教授に相談するわけです。すると、「あんたはそういう会社には向かないよ。メーカーが向いていると思う。できれば鉄鋼などの重厚長大系ね」と言われて、あわてて志望企業を変更しました。
結果、1983年4月、面接のときに話した先輩方と波長が合うと感じた川崎製鉄株式会社(現在のJFEスチール株式会社)に新卒入社しました。